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神戸地方裁判所 昭和44年(ワ)1470号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕本訴請求の当否

自賠法第三条本文は「自己のために自動車を運行の用に供する者は、その運行によつて他人の生命又は身体を害したときは、これによつて生じた損害を賠償する責に任ずる」旨を定め、同法第一六条は「第三条の規定による保有者の損害賠償責任が発生したときは、被害者は政令の定めるところにより、保険会社に対し保険金額の限度において、損害賠償の支払をなすべきことを請求することができる」旨規定している。そして同法第三条にいう「他人」とは、運転者(運転補助者を含む)及び運行供用者以外の者をいうのであるから、本件自動車に同乗していた訴外裕文が右の他人にあたることは明らかであり、同人が本件自動車の運行により死亡したことは前記のとおりである。そうすると、本件自動車の運行供用者である訴外南元吉は、右裕文の死亡による損害を賠償する責任があり、右元吉との間で責任保険契約を結んでいる被告は、同法第一六条による被害者の請求に対し、その損害賠償を支払う義務があるやにみえる。しかしながら、同法第三条は自動車の運行による人身事故につき、その責任主体、責任事由及び責任の立証責任について特別の定めをしたに止まり、賠償責任(その性質、内容)について民法上のそれと別異な責任を定めたものではないと解すべきところ、一般に夫婦、または親とその未成年の子によつて構成される家族的生活共同体内の一人より他の者に対して不法行為が行われたとき、加害者が被害者を扶助する義務を負う場合には(本件は父陽三の運転上の過失行為により未成年の実子裕文に害を加えたのであるから、右の場合にあたる)、被害者において損害賠償の要求をしないのを通例とする。それは単に夫婦、親子の情誼等がかような請求を控えさせるに止まらず、加害者は被害者に対して無限定の協力扶助義務を負うが故に(民法第七五二条、第七六〇条、第八二〇条参照)右義務の履行により被害者の財産上の損害(特にいわゆる消極的損害)が実質上填補されること、また右共同生活体においては日常の家庭生活が円満に維持継続される限り、被害者は加害者の苦衷を思いやいやつて、その所為を宥恕するのを常とするが故に、特に精神的損害を考える余地がないことによるものというべきである。

一方、自賠責保険は、被保険者が運行の用に供する自動車の惹起した事故により第三者に対して賠償を余儀なくされた現実の損害を填補することを本旨とするものと解すべく(自賠法第一五条参照)、このことは同法第一六条の規定によるいわゆる被害者請求の場合においても同様であつて、保険会社の支払うべき損害賠償額は被保険者が現実に賠償または出捐すべき金額)に限られるものというべきである。自賠責保険はその性質上、実際に権利の行使が夫婦、親子等共同生活体における特殊な協力義務の関係、または社会倫理の観点から許しがたいような損害責任をも、なお填補すべきものとした趣旨とは到底解しがたい。(東京高裁、昭和四六年一月二九日判決、判例時報六一八号参照。)

さて、本件は被害者(裕文)の父が加害者であり、被害者の祖父が運行供用者(被保険者)ではあるけれども、祖父元吉が被害者の消極的損害をその相続人に賠償することは実際上考えられないのみならず、たとえ元吉にその賠償責任が発生したとしても、事故後同人が死亡したことにより、その子である訴外陽三(原告の夫)らにおいてその義務を相続したたこととなるので、原告は裕文の相続分につき、夫である右陽三及びその他の兄弟に対して賠償請求をなさざるを得ないこととなるところ、左様な請求が実際上可能であるとは考えられず、また円満な家族または親族間にあつては左様な請求は許しがたいものというべきである。

そして原告の本訴請求は、亡裕文のために現実に支出した治療費、葬儀費の額ではなくて、同人が失つたと考えられる将来の得べかりし利益額の二分の一を相続したとして、被告に対し保険填補を求めるものであるところ、本件事故の当時原告とその夫である陽三、その父である元吉、原告らの子である被害者裕文が円満な家族生活を送つていたことは前に認定したとおりであるから、前に説明した理由により、被告に対する右請求は理由がないものというべく、他に保険填補の正当性を認むべき特段の事情は認められない。 (原田久太郎)

<編注> 本件については、本誌二五七号一〇三頁東京高判昭四六年一月二九日のコメントおよび本誌二六三号八二頁金沢理・判例評釈を参照されたい。

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